
久しぶりの書道で、墨の香につつまれ、筆を手にすると気持ちが安らぎます。
何故か、“香”の字は前々から書きたかった字でした。
今回はこれに季節の“梅”を添え、お手本なしで書きました。
どっしりした梅の木からその香りが四周に広がっている
・・・そんなことをチョッピリ意識しながら・・・。
[補記]の合間に
(グローバル化へひた走ったドイツの惨状 そのドイツは間もなく総選挙)
今、拙ブログで追っかけている場はドイツです。
特にショア―(ホロコースト)後ドイツという国が、
この罪にどう向き合い、克服し、そしてEUの中核としてどのように発展してきたか、を主題に纏めておりました。
この過去のテーマを追うなか、その行きつく先、すなわちドイツの現在はどうなっているかを確かめるべきだと思いました。
本でいえば“最終章”あるいは“あとがき”みたいなものですが、筋書き全体を決めるものでもあります。
恥ずかしながらつい最近(昨年半ば頃)まで自分は、日本はドイツにGDP等で抜かれたらしいが、
まあ両国の差は僅差で、さすがにこの日独両国の“底力”は凄いんだな、くらいに思っていました。
しかし、ここ数か月を調べてみると、ドイツ経済の低迷が言われ、それも一時的なものでなく深くて大きい構造的なもので、
「ドイツはヨーロッパの病人だ」との声すらも聞こえてきます。
大百貨店が閉鎖したりとか、2,024年のドイツの失業者は過去10年間で最多となりそうだ、などなどです。
アメリカがここ数年でいかにおかしくなってきていたかは、
これが“グローバリズムの行きつく先” なのだとそれなりに認識してきていました。
そしてそれをトランプやマスク氏が大手術をはじめた、というのが今のアメリカでしょう。
本日の拙論は、このアメリカの流れのなか、
そこに焦点を当てつつ纏めてみたものであります。
EU全体を観たいのですが今回は手が回りません。
ドイツに絞って観てみます。
○大手術が始まったアメリカ
バイデン時代の不法移民(2,000万人にも迫ろうかと言われている)に対する国境管理、
年間10万人ともいわれるフェンタニルという麻薬による死亡者及びその供給元への強烈な要請、
気候変動の論理そのものがおかしいとしてのパリ協定からの再離脱あるいは石油などの化石燃料の復活・推進、
性的少数者への過度の配慮からなされたパスポートへなど公式書類の性別は「男女のみ」に戻すこと、
連邦政府が行っていたDEI(多様性・公平性・包括性)プログラムの廃止、
それに今は「USAID」(アメリカ合衆国国際開発庁)に不適切で無駄な支出があったとして、
「DOGE」(政府効率化局)のイーロン・マスク氏が大規模なメスを入れたことが世界中のネット上で大きな話題になっています。
その言論空間は極めて閉鎖的で自分たちの意向に沿った内容だけを発信しています。
(日本のメデイアときたら、そのアメリカに加えて中国からもグリップされたままで、情けないを通り越して憐れの域です)
Youtubeも4年前はトランプ側に厳しい検閲がありましたが、現在は(あるかもしれませんが)以前と比べるとかなり自由度があるように思われます。
真っ向からこれらに立ち向かっているように自分にはみえます。
○ドイツの没落
しからば、今のドイツはどうでしょうか。
以下本項は、主に、正に時宜を得た勝れ本「ドイツの失敗に学べ」(川口マーン惠美著 WAC社)から引用させていただきます。
川口氏は上記の著の書き出しで次のように書かれています。
『日本人がイメージするあのドイツはもうない』
との小タイトルのもと、
「日本人がドイツと聞いて思い出す名前は、
イメージとしては重厚で知的で冷静、
しかも“ドイツにはその昔、音楽も、医学も法律も教えてもらったし、戦争のときは軍事同盟も組んだし・・・”などと、
親近感の持ち方も半端ではない。
そのせいか、多くの日本人は今でも“ドイツとは真面目で勤勉な人たちが住むハイテク工業国だ”と信じている。
確かに私が暮らし始めた40年前のドイツはその通りで、骨太の、秩序だった国という印象が強かった。
・・・(中略)・・・ところが、いつの間にかすっかり様変わり。
人々が勤勉に働き、電車や郵便が正確に機能するドイツはすでにない。
それどころか、エネルギー政策の失敗のせいで国際競争力が失われ、この調子ではいつまでハイテク工業国でいられるかも怪しくなってきた。
今ドイツは脱産業が懸念されているといったら、日本人は腰を抜かしそうになるのではないか。
ドイツでは国民の間に、さまざまな分断が存在している。
膨大な数の移民系の人々と、元からいたドイツ人の間に流れる不協和音もそうだし、
また「ドイツのための選択肢」(AfD)(政党名)といった伝統や文化を守ろうとする新興の保守党に対する、
既存の全政党の政治家、及びメディアによる攻撃が激しさを増し、そのせいで引き起こされている支持者の対立も不穏なレベルに達している。
要するに、今、挙げたようなことが相まって、ドイツの治安までがどんどん浸食されてしまっているのだ。」とされています。
これらの原因は、グローバリストの権化である前首相メルケルの施策によるものが多く、
彼女は、異様なまでに民主主義を強調し、脱原発を加速させ、移民・難民を無制限に受け入れ、
結果が今のドイツは惨憺たる状況である、と。
以下項目ごとに追ってみます。
△移民・難民からくる治安の悪化、ドイツ人が働かなくなった「市民金」制度
まずは距離的に近いイタリアから入り、そのイタリアへの難民をEUが各国に振り分ける、という構図だったが、
近年窒息状態に陥っていた。
そこに2,015年、ドイツメルケル首相の打ち出した「難民ようこそ」政策で民族大移動ともいえる大移入があった(当年だけで公称89万人)。
その後も難民・移民は増え続け、そこで起こった最大の問題は「治安の悪化」。
ドイツにおける2,023年の年次報告によれば、
犯罪総数約80万件、そのうち約半数の39万件が、ドイツ人以外による滞在許可に関する違法行為、
すなわち不法入国、不法滞在、給付金の不正取得など、であると。
23年データでは、暴行,スリ強盗などの犯罪も前年比2ケタ台の増加、
外国人による犯罪はドイツ人のそれと比べて、性犯罪は7倍、ナイフなどの凶悪犯は6倍に増えているという。
加えてウクライナ難民問題がある。
この制度は、貧しい人なら申請さえすれば誰でもほぼもれなく貰え、しかも最初の住宅家賃まで全額補助してくれるという。
正に破格の扱いで、24年5月時点で、“労働が可能であるにもかかわらず市民金を受領している人数”はトータル400万人を超えてしまっている、と。
すなわち今のドイツはこれら労働者が働かなくなってしまっているとのことである。
この市民金制度は、ウクライナから逃れてきた難民についても対象とされ、
しかも難民申請の手続きも不要、ドイツに入国すれば自動的に、正式な滞在許可(期限付)が貰えるとのことで、
ドイツにいるウクライナ難民120万人以上のうち、その3/4がこの市民金受給者だという。
勿論その財源を支えるのはドイツ人一般労働者であり、彼ら労働者の福祉のダウンにも不満は募っていると。
ドイツにはショア―(ホロコースト)のトラウマがあり、外国人に対して何かを要求すると、厄災が降ってくるかもしれないと考え、
“触らぬ神に祟りなし”で何十年も外国人のしたい放題を許してきた、と。
そのせいもあるのか、今のドイツには約300のイスラム教の寺院があり、約3,000弱の祈祷のための集会所があるという。
ドイツ側も驚愕しているが、テロ化の心配もあり迂闊には手を出せない状況だと。
あっという間に、「ユダヤ排斥」を叫ぶ暴徒と化した、と。
75年の空白を破る衝撃がドイツ国民の中に走ったと。
ドイツ人の強いトラウマのなかで、外国人租界のような一角が反ユダヤの温床になった可能性もある。
それに加えて2,015年、16年にドイツに入り込んだ中東難民は、ユダヤとはもともと骨肉相食む仲で、
「ユダヤ憎悪」というアラブとしての“常識”を、おそらくは無意識のうちにドイツに持ち込んだのは疑いの余地がない、と。
ドイツは75年間イスラエル擁護を貫いてきた一方、
難民問題もすぐに極右などのレッテル張リがなされるとのことである。
川口氏は、アラブ系の人たちには、ドイツでの反ユダヤ主義は許されないことを啓蒙するとともに、
国民全員に、今までタブーだった事例についてオープンな議論の場を、と述べておられます。
△LGBTなどによる国家破綻
ドイツサッカーのナショナルチームのユニフォーム(アウェイ用)の色が、突然、ピンクと紫に変わった、と。2,024年3月のことである。
どういういうことか。
サッカーのドイツ・ナショナルチームは世界的な強豪チームで、W杯では、1,954年、74年、90年、2,014年に4度も優勝している。
このW杯のときだけは国中が国旗だらけになるという。
ドイツ人が遠慮なく皆して愛国心を発揚できる唯一の機会とも言われている、と。
そのサッカーチームのユニフォームの色が突然に、
それまでの黒、深緑、濃い臙脂色など、キリっとした色で雄々しく決めていたのが、ピンクと紫に変わった、と。
その理由は、チームの母体であるドイツサッカー連盟(DFB)と現ドイツ政府の政治的思想と一致した色であった、と。
何故なら、このピンクと紫はLGBTの象徴色だからだ、とか。
ドイツの代表選手たちが、自動的にLGBTなどの啓蒙ミッションに組み込まれていることを意味する。
もうひとつ、このLGBT関連で、「自己決定法」という法律が成立した(2,024.4)と。
何を自己決定できるかというと「性別」とそれに見合った「自分の名前」とのこと。
それまでは、医師の鑑定書を含めて一連の手続きが必要だったが、この法律では、生物的な性別は全く関係がなく、
医師の鑑定書も不要、本人が届けるだけで、自分が男だと思えば男になれるし、女だと思えば女になれるという。
ドイツのパスポートの性別蘭は「男」、「女」だけでなく「その他」欄があるし、求人広告ではすでに男、女、その他との書き方がスタンダードだと。
川口氏は、次のように警鐘を鳴らされる。
「自己決定法」は、有史以来、男と女という概念を土台につくり上げてきた国家の秩序を、根本から覆す第一歩となる危険性を孕んでいる。
特に法律は、男女の区別がなければ、条文が成り立たず、無効になりかねないものも多い。
しかし、その社会の大変革が、人権強化や平等を前面に出して、今、いかにも実行に移されようとしている、と。
△脱原発、再エネによる産業そのものの衰退
もとより、景気や経済がおかしくなるのはドイツ自身だけのせいでなく、
あるいは頼っていた中国経済の不況や西側の締め付けなどもあるかもしれません。
その結果が今になってこのような弱点となって露わになってきているようです。
すでに原子炉の冷却塔は破壊され、もう戻るに戻れないところまできてしまい、
これから再生エネルギーだけで諸々の産業や生活基盤を支えていくのは無理なところまで落とし込まれてしまっている、と。
川口氏は続けられます。
政府お気に入りの御用学者が極端な気候危機と脱炭素の必要性ばかりを強調し、
さらにそれを政府お気に入りの御用メディアがホラー映画のように地球滅亡のシナリオ付きで拡散した結果、
国民は完全にミスリードされ、ドイツは電気供給の安定を蔑ろにし、再エネの増設にまい進した、と。
ドイツ最高峰と言われる経済学者が自国・ドイツの現状を評して曰く、
投資家は、よほどの条件が提示された場合のみ散発的に投資する状態で、経済的には経済途上国への道を歩んでいる。
ヨーロッパにおいてドイツは、既にブレーキ役として認識されている”と。
因みにドイツへは大量の難民が流入しているが、ドイツから外国への国外流出者はここ10年で63.5万人、多くは若くて有能な人材である、と。
つまり、逃げていくのは資本だけではなく大事な人材までもが流出している、と。
△まもなく総選挙
さてさてさてもの政治です。昨年末、ショルツ首相は、今年度の予算案などを巡る対立から財務大臣を罷免し、
総選挙が本日(2.17)から1週間後、今月2月23日に行われることとなりました。
歴代のドイツの首相は、メッケル、コール(いずれもキリスト教民主同盟(CDU))がそれぞれ16年間、
ショルツは3年と短命でした。もちろん、上述したように経済をはじめとする混迷が主因とされています。
なかでも注目されているのは「ドイツのための選択肢」(AfD)という変わった名の政党で、世論調査ではこの党が2位に躍進しそうだと。
2,013年、東部のドレスデンで経済学者を中心に設立され、現在は2人の女性共同党首に率いられている党です。
メルケル時代に進められた移民受け入れへの反対を正面から訴えたほか、
ドイツ政界・言論界では“極右”扱いされ、AfD以外の他の全ての政党とメディアから執拗極まる攻撃・妨害をされているようです。
そんななか、昨年2,024年6月の5年に1度のEU議会選挙では、
またAfDは、昨年9月行われた東部3州の議会選挙でも、3州すべてで1位または僅差の2位という高い支持率を確保している、と。
AfDの党首の1人ヴァイデル氏とX(旧ツイッター)上で会談したり、
AfDの大規模な集会の場にビデオ中継で参加し、同党を礼賛し支持を表明した、と。
更には、バンス・アメリカ副大統領は、つい14日、訪問先のドイツで、上述の共同党首と会談するとともに、
同日ドイツで開かれた安全保障会議で、AfDを適格な政治的パートナーとして支持表明したほか、
他の政党が、AfDとの協力を“共同して拒否”していることをを批判した、と。
アメリカ政府首脳が、他国の選挙期間中、特定の政党を表立って支持表明するのは珍しいことでしょう。(裏は一杯あるでしょうが)
第1党が予想されるCDUも過半数には至らないとされ、
どのような政権の枠組みになるのか、そのなかに第2党が予想されるAFDがどのような関りを持つのか。
○小要約
以上、拙ブログ当面の主題である「ショア―後のドイツ:罪からの解放」に入る前に、
今現在ドイツがどうなっているか、特にここ数年急激におかしくなってきたドイツを中心に観てきました。
私なりに思いますに、(CDUそのものは分かりませんが)メルケル個人、あるいはその後の3党連立政権のメンバーから見えることは、
言ってること、やってることは「グローバリスト」そのものであることです。
多様性などといいながら、自分たちの主張を絶対的なものとし他を受け付けず、
他者の批判は猛烈にするが自分たちへの批判は許さず、
言論空間も一方的一元的で多様性などさらさらありません。
そして国家がどうなろうとそれは知ったことではなく、むしろ国家など無くなってしまった方がいいとする考えです。
国家の経済や繁栄を考えれば、およそマイナスにしかならないことばかりをゴリ押ししてくるもので、
今のドイツは、皮肉にもその模範的なモデルをデモ(実演)してくれているようにすら映ります。
これもドイツの場合は、ショア―からのトラウマのなせるわざで、
ユダヤや彼らと軌を一にする勢力への批判・反対は封じ込められ、
結果、彼らの言うがままになってしまっていた、という側面もあると思われます。
もう一方で、今のドイツの現象をみて、ドイツの“国民性”そのものについても
もう一度見直す必要があるのではないか、とも考えさせられました。
かってドイツ国民全体が経験したように、何か、アッという間に、国民が一定方向に突っ走っていく・・・そんな姿が垣間見えた気がするのです。
しかも過去も現在も、そこには至極当たり前とされる「良識」が働いていないようにみえます。
まだ分かりません、垣間見えただけです。
そういう意味でも今回の総選挙は見どころ一杯であります。
次回は補記の本論に戻るつもりですが、総選挙の結果の判明次第によってはそちらへ流れるかもしれません。