
先日(10月2日)の教室(新ゆり絵画クラブ 小玉精子先生)です。
ご準備頂いていた、黒っぽい金属製の馬の置物を描きました。
教室では、全体の形を整える鉛筆の下書きだけにしましたが、
各部位の位置関係など、これがなかなか定まらず、あっという間の2時間でした。
帰宅後別の紙に大まかな下書きをし、墨を乗せました。
モチーフの黒い金属製を表現するには墨もいいかな、と思ったからです。
使用しました紙は「ハーネミューレ版画紙」という紙。
元々は銅版画用紙とのことで、
墨絵にも適しているということで、5年ほど前に入手していたものを使いました。
墨は液墨と固形墨双方を。
どちらかというと濃い部分は液墨、薄い部分は固形墨で描きましたが、
一度墨を入れたらその部分は消すことができないので、
白く残す部分は慎重になりました。
最も苦労しましたのは、
斜め正面からの、立ち上がった馬のバランス、そして見えにくい顔の表情。
これが難しい!でした。
【補記】
[ユダヤの行動原理とこれからの日本]
を続けております。
八十五翁の、あくまでボケ防止(すでにing)のための自分の勉強です。
本日も長くなりますがお許し下さい。
・・・全体目次・・・
(一部過去記事を簡略化して表現)
第1章 【古代】古代イスラエルの誕生
第2章 【中世~近代】キリスト教国家群からの迫害受け・寄生・活躍
第3章 【近代】ロスチャイルド家の登場によるユダヤの世界規模で活動開始
第4章 【近代】ロックフェラーの登場 二つの巨大財閥による世界支配
第5章 【近代】ショア―(ホロコースト)等によるユダヤ民族存亡の危機
第6章 【現代】新生イスラエル国家の成立と中東の混迷
第7章 【現代】WWⅡ後 ロスチャイルド、ロックフェラーそして中国共産党
第8章 これからのユダヤと日本
・・・(全体目次終わり)・・・
現在考察中の『第7章』の目次は、
第7章 【現代】WWⅡ後 ロスチャイルド、ロックフェラーそして中国共産党
第1節 覇権国家としてのイギリス・・・既述
第2節 アメリカ大統領と両財閥 ←今ここ
第1款 通貨発行権を巡る国際金融勢力とアメリカ大統領・・・既述
第2款 国際金融勢力によるグローバリズムの台頭とこれへの反発
《東西冷戦体制の作為・支配》・・・既述
《プレトンウッズ体制》・・・既述
《ニクソン・ショック》・・・既述
《アメリカ一極支配のグローバリズムの展開》・・・今回及び次回・次々回
《グローバリズムへの反発》・・・・・・次々々回以降
・・・略・・・
なお、グローバリズムなどの用語の意味は、 自分は次のように理解して進めています。
林 千勝氏はグローバリストたちが目指す「新世界秩序」とは、
「国際金融資本家らが展望している世界を、
政治的、経済的、文化的に牛耳る一元的な支配体制であり、
国・民族・伝統・歴史・家族等々に価値を認めない。
それは無い方がいい、という一元的な人類支配の秩序である」
(「統治者:フィリップ・ドルー」(林千勝著))とされています。
更に馬淵睦夫氏は、「『国境を無くし、世界を統一する』とする思想である」
と言い切っておられます(「反グローバリズムの逆襲が始まった」(馬淵睦夫著))。
また、「グローバリズム」とは、上記のような“主義・思想” をいい、
「グローバリスト」とは“主張・活動する人”をいい、
「グローバリゼーション」とは“拡大すること(過程)”をいう言葉として
拙論を進めさせていただきます。
・・・本日の本論に入ります・・・
《アメリカ一極支配のグローバリズムの展開》(ブッシュ(親))
以下、今回の小目次は
[湾岸戦争のブッシュ開戦演説にみる『新世界秩序』]
[米政権作成の秘密文書『冷戦後のアメリカのグランド・ストラテジー』]
[冷戦後の経済グローバリゼーションの特徴]
[中国における社会主義市場経済の台頭]
1,989年ベルリンの壁崩壊、1,991年ソ連邦崩壊により40数年にわたる冷戦は終了した。終了に至らせた主役はレーガンだったが、
冷戦を告げる「マルタ会談」はゴルバチョフと次の大統領ブッシュとの間で行われた。
そのジョージ・H・Wブッシュ大統領(共和党 在位:1,989.1~93.1)の政権メンバーは、本人はもとより、ブレデイ財務長官、チェイニー国防長官、ゲイツCIA長官など
その主要閣僚は外交問題評議会(CFR ロックフェラー系)等の出身者で占められていた。
次のクリントン政権では最初(だけだが)、ロスチャイルド系が巻き返すことになる。
[湾岸戦争のブッシュ開戦演説にみる『新世界秩序』]
マルタ会談(1,989.12)直後(8ヵ月後)の1,990年8月、イラクはクウエートに侵攻、湾岸戦争となる。
アメリカは多国籍軍(34ヵ国)を編成、イラクのクウエートからの撤退を求める国連安保理決議(第678号 90.11採択:撤退しない場合は武力行使の容認を含む)に基づきイラクを攻撃する。
その後、イラクに大量破壊兵器の撤廃を義務付けた国連安保理決議(第687号 91.4採択)をもって終戦となる。
あとにブッシュ(子)政権で行ったイラク戦争(2,003年)の時と比べ、
ブッシュ(父)の方は、武力の行使については国連の安保理決議を大事にしているところが特徴ではあるが、
(国連など関係なく)「アメリカ単独でも戦う」としており(アメリカの国益に関する報告書)、
これこそがアメリカの本質であろう。
この湾岸戦争開戦にあたり、90年9月、ブッシュ大統領が行った議会演説:
「新世界秩序に向けて(Toward a New World Order)」の中で、
「新世界秩序」という言葉が使われた。
この「新世界秩序」なる言葉は、それまでにも政治家や歴史家で多用されてきた言葉ではあるが、
この湾岸戦争時のブッシュ演説から一般にも広く知られるようになった、と。
同演説では新世界秩序について、
チャーチルの言葉“正義と公正の原理により弱者が強者から守られる世界秩序です”などを引用した内容であった。
チャーチルの言葉は、一見聞こえはよいが、アメリカが企図している世界秩序は、
実際には全然違ったようである。
[米政権作成の秘密文書『冷戦後のアメリカのグランド・ストラテジー』]
(以下本項は「自滅するアメリカ帝国」(伊藤 貫著)に依る)
伊藤 貫氏に依ると、冷戦時のアメリカのグランド・ストラテジーは、
ユーラシア大陸の三重要地域(西欧、中東、東アジア)を米軍が支配することによりソ連陣営を封じ込めることにあった。
しかしアメリカは冷戦が終わると同時に次のグランド・ストラテジーを構想した。1,990年から91年にかけてアメリカ国防総省内部で極秘裏に検討、
「1,994年~99年のための国防プラン・ガイダンス」として作成された(92.2.18付)。
チェイニー国防長官もこの機密文書の戦略構想に承認を与えた。
ところがこの機密文書が作成されてから3W後、ニューヨーク・タイムズ紙とワシントン・ポスト紙にリークされ、その内容がオープンになってしまう。
しかしこの構想内容そのものには、ホワイトハウス、国務省、財務省、CIAの幹部ほか共和党のタカ派や国防産業だけでなく、民主党の外交政策エスタブリッシュメント層も賛成していた、と。
そしてその構想内容の骨子は次の通りである。
★ ソ連崩壊の国際社会において、アメリカに対抗できる能力を持つ大国が出現することを許さない。
西欧、東欧、中近東、旧ソ連圏、東アジア、南西アジアの諸地域において、
アメリカ以外の国がこれらの地域の覇権を握る事態を阻止する。
★ アメリカだけがグローバル・パワーとしての地位を維持し、優越した軍事力を独占する。
アメリカだけが新しい国際秩序を形成し維持する。
この新しい国際秩序の下で、他の諸国がそれぞれの“正当な利益”を追求することを許容する。
★ アメリカに対抗しようとする潜在的な競争国が、グローバルな役割、もしくは地域的な役割を果たすことを阻止するための(軍事的・経済的・外交的な)メカニズムを構築し、維持する。
以下、アメリカの潜在的な競争国(もしくは敵性国)ごとに覇権を許さない旨の記述が続くが、
ロシア、中国のほか同盟国の日本とドイツも含まれていたことは、
すっぱ抜いた ワシントンポスト紙(グローバリストの御用新聞)ですらも
“外交的ショック”だった、と。
まさに『アメリカ一極支配の新国際秩序』であった。
[冷戦後の経済グローバリゼーションの特徴]
先にみてきたように、世界経済の側面からは、
プレトンウッズ体制では、東西対立構図のなか、西側におけるアメリカのドル支配・大きな政府の体制であったが、
ニクソンショック後は、西側におけるアメリカのドル支配は変わらないが、小さな政府、即ち民間が大活躍できる新自由主義体制へと変わっていた。
このアメリカの支配の経済体制が、冷戦の終了とともに、
西側だけでなく全世界に広がったこととなった。
政治・軍事・外交を含む総合的な国力を駆使した覇権国家へと大変化を起こしたこととなる。
以下、冷戦後に起こった経済グローバリゼーションについて、
主に「新版グローバリゼーション(スティンガー著)」の論点に従い記す。
貿易と金融の国際化が進んだ。
まずは当然のことながら、東側が西側の資本主義体制に入ったため市場規模は拡大した。
冷戦崩壊により軍用衛星の民生転用にみるように軍事的な技術が民間にも応用されるようになった。
インターネットの普及など情報通信システムの統合が加速し、
金融のネットワーク化は大規模で瞬時の国際取引を可能にした。
多国籍企業のパワーが増大した。
アメリカ中心の多国籍大企業は、研究開発から生産、販売にいたるまでの総合的な持ち得ていて、その大企業が世界的に展開するようになった。
IMF(国際通貨基金)、世界銀行、WTO(世界貿易機関)等の国際経済機関の役割が拡大した。
IMFや世界銀行は経済グローバル化の“負”の部分への対応のため出番が多くなった。
経済グローバリズムの象徴 WTOは1,995年に発足し、多国籍企業などの投資で貿易量が拡大するとともに、2,001年からは中国もこのWTOに加入、飛躍的に貿易量は拡大した。
経済グローバリズム化の問題点も以下のように指摘されている。
生産という実態を伴わない、いわゆる“虚のマネー”が支配する経済を生んでいる。
過度の規制緩和からバブルを生みだし、その破裂による通貨危機や世界同時株安などを引き起こしている。
全体に、富めるものはますます富む時代となり、貧富の差は拡大の一途で、中産階級減少の現象を招いている。
京都大学 佐伯啓思氏に依れば、行き過ぎた新自由主義が、その経済的側面だけでなく社会全体に押し付けられ、
その価値観に従わない生き方が許容されない社会
・・・徹底した自由主義が不自由で窮屈な社会・・・をもたらしている、と。
(さながら先の自民党総裁選のオールドメデイア全社による“小泉一択” 報道を見るがごとし・・・筆者所見)
レーガン、サッチャー時代に具体化されていた経済面における新自由主義の考えは、1,990年代に入るとシカゴ学派(ロックフェラー家の強い支援)などにより更に世界的に拡がった。
先にみてきたように、1,967年にEC(欧州共同体 市場統合による経済統合)が発足、ニクソン・ショック後の1,973年には、世界が固定相場制を放棄したにも拘わらず、
ECは将来の通貨統合を見越して固定相場制を堅持してきていた、その延長線での統合である。
この統合は、市場だけでなく政治統合とよばれる総合的なところに大きな特徴がある。経済統合に加え、共通の安保・外交・議会・司法・市民権も含まれるもので、
通貨の統合も大きい。
EUは単一通貨発行に備え、1,998年にはECB(欧州中央銀行)をドイツ・フランクフルトにつくり、翌99年から単一通貨ユーロを発行した(採用決定は1,995年)。
加盟各国は、出資金に応じユーロを受け取るが、金融政策はECBが決定することとされ、加盟各国は、自国の通貨発行権はもとより無く、金利の決定や為替の介入など
主権国家がもつ金融政策の自由も失うこととなった。
EUは、ECB所在地がドイツにあるのが象徴しているように、終始ドイツが主導した。
のちにEUを離脱したイギリスはEU加入時点から、ECBによる金融政策への干渉を嫌い、ユーロは採用せず、女王陛下の通貨ポンドを使い続けた。
因みにロスチャイルド家は、本家・分家それぞれにおいて、それぞれを対象の通貨の発行を行っており、
どちらに転んでも、自分たちは変わらない、その底流をなす核心部分を担っている。
翻ってEUは、グローバリズムの原点「世界は一つ。国境など無い方がいい」の欧州版であり、
グローバリスト達にとっては、極めて大きな中間目標的な地位付けになる。
冷戦後のNATOについては、
今までの主敵だったソ連邦が崩壊するという事態になり、一時的には自分たちの役割につき戸惑いもあったようだ。
しかし潜在するロシアの脅威は続き、これへの“集団防衛”という任務は継続したほか、冷戦後活発化した“地域紛争へ対応”したり、“平和維持活動”や“国際的なパートナーシップ”の強化など、その役割を変えていった。
東欧諸国の加入希望に応える「NATOの東方拡大」については、
ブッシュ(父)政権当時のベイカー国務長官がゴルバチョフ書記長に
「NATOは1インチたりとも東方に拡大しない」旨を発言した(公的外交文書ではない)としており、
ブッシュ(父)時代にはアメリカはむしろ抑制的であり、これが顕在化するのは、次のクリントン政権の時である。
なお前述の冷戦後のアメリカの戦略構想(機密文書)のなかのNATO関連を抜粋すると
「ヨーロッパ安全保障の基盤をNATOとする。
NATOは、ヨーロッパ地域におけるアメリカの影響力を維持するためのメカニズムである。
ヨーロッパ諸国が、ヨーロッパだけで独自の安全保障システムを構築することを許さない」とある。
即ち、アメリカにとってのNATOは、ヨーロッパの安全保障の基礎であるだけでなく、
「ドイツを抑え込む装置」の一つでもあった、ということである。
(日米安保条約にも、日本が過度に力をつけるのを抑え込む“瓶の蓋”論がある)
[中国における社会主義市場経済の台頭]
(以下本項は主に「やりなおす経済史」(蔭山克秀著)に依る)
西側諸国が、その経済活動において新自由主義に転換する、丁度そのころ、
中国経済をけん引したのは鄧小平である。
彼は、1,978年、「改革・開放」路線を打ち出した。
これは「市場原理主義」や「外貨導入」を認めるもので、毛沢東以来の社会主義政策とは一線を画するものであった。
多くの犠牲者が出たとされる天安門事件も彼にとっては、共産党国家中国にこの制度を定着させるまでには必要とした、と判断される。
改革開放路線では、外国資本導入のモデル地区として香港・マカオなどの経済特区として指定し、関税、法人税、所得税などの優遇措置や企業の経営自主権なども保証した。結果、GDPの平均成長率は平均9%の高水準が達成された。
この鄧小平のあとの後継者が江沢民(国家主席在位:1,993.1~2,003.1)である。
彼が最高指導者になったのが1,993年、まさに冷戦・湾岸戦争が終わり、アメリカ主導の国際秩序が形成された時期である。
彼が主導したのは「社会主義市場経済」と呼ばれるもので、一応、社会主義経済体制のため「公有財産」が基本ではあったが、「外資」「株式会社」「私有財産制」(いずれも公有財産ではない)も発展させるとするものであった。
これらは、のちの2,001年にWTOに加入するための下準備とされた。
何せWTOはグローバリズムの象徴的機関で「世界の“自由”貿易の守り神」とされているところに、社会主義大国・中国が加入するという大変革であった。
そこでは中国が、ルール違反などお構いなしの大暴れをすることになる。
以下、次回は、同じ《アメリカ一極支配のグローバリズムの展開》項目で、
クリントン、ブッシュ(子)時代を記す予定です。
次回は、11月3日(月)アップ予定です。